日本古代史関係の本を読んでいて、
こんな言葉に出くわした(吉村武彦氏『大化改新を考える』)。「渡来系移住民」。以前は歴史教科書でも「帰化人」という言葉が普通に使われていた。ところが、この言葉は日本中心主義の差別的な用語である、として槍玉に挙げられた。それで、十分な検証も無く「渡来人」と言い換えられるようになる。だが“渡来人”では、“帰化人”という言葉が本来持っていた、「外部から日本に渡って来て、その後、日本の社会に同化した」という概念の、前段は表現できても、肝心な後段が抜け落ちてしまう。だから良識的な学者から、学術的に適当ではない、との批判が出ていた(平野邦雄氏、松尾光氏、中野高行氏など)。「渡来系“移住”民」というのは、そうした批判を意識した新しい造語のようだ。だったら、回りくどい言い方をしないで、ストレートに「帰化人」を使えば済む。学問的な良心と政治的な忖度(そんたく)が絡み合って生まれたのが「渡来系移住民」という新語だろう。戦後、GHQに睨まれた「大東亜戦争」を排除して、アメリカ目線の「太平洋戦争」と言い換え、独立回復後もそのまま固守した経緯を思い出す。しかし、この言葉は、先の大戦の実態に照らして、明らかに齟齬がある。そこで近年、「“アジア”太平洋戦争」という新しい造語が使われるようになった。だったら、シンプルに「大東亜戦争」を復活すれば良いだけの話。GHQの亡霊にいつまで“忠義立て”するつもりか。笑ってしまう。“渡来系移住民”という言葉にも、それと共通する思考の硬直ぶりが露呈している。まぁ、政治の世界でも「移民」は禁句で、
「特定技能1号→2号」と言い換えているようだが。